学校日記
2017年11月の記事一覧
私は桜守(福島県 児童作文コンクール準特選)
第50回福島県児童作文コンクール 準特選
「私は桜守」
喜多方市立熊倉小学校6年 鈴木 日菜
私の家には、大きな桜の木がある。この桜の木は、私の父が生まれたときに、父の祖父が誕生のお祝いに記念樹として植えたソメイヨシノである。
春になると、毎年とてもきれいな花を咲かせる。私は、花が散る前に、スケッチをしたり、写真を撮ったりする。あるとき、うちで飼っている猫が散ってくる桜の花びらをとろうとして窓ガラスにぴょんと飛びついていた。その姿がかわいらしくて絵に描いたことがある。また、家族で二階から見える桜を眺めながら、鍋をつついたりおまんじゅうを食べたりして花見を楽しんでいた。食べることに目のない母が、
「桜がポップコーンみたいに見える。」と、言ったのでみんなで大笑いしたこともある。
しかし、一年ほど前、桜の木に元気が無いような気がした。ずいぶん枝が細くなり、所々樹皮がはがれている。きつつきが来て、穴を開けていたときもあった。私は、なんだか心配になり、祖母に、
「ねえ、おばあちゃん。最近桜の木が元気が無いような気がするんだけど。」
と言うと祖母は、
「そうだね。日菜ちゃんのお父さんが今、四十六歳。お父さんが生まれた年に植えたんだからあの桜は四十六年間も毎年花を咲かせてくれたけど、もう木がだめになっているんだよね。家の方に倒れると危ないから、残念だけど切るしかないかな。」
と言って寂しそうな顔をした。それを聞いて、私は胸が痛くなった。四十六年もの間、だだ黙って花を咲かせ、静かに花を散らせて、家族を幸せな気分にさせてくれた桜の木。私は、まだ別れたくない気持ちでいっぱいだった。
数日間、どうしても桜の木のことが頭から離れず、父に相談した。すると父は、
「そうか。なんとかしてみるか。」
と言って、桜の木を見に行った。父が戻ってくると、
「日菜、ちょっと手伝え。」
と言ったので、父について行った。父は、いろいろな道具を持ってきて、二人で桜の木の手当をすることにした。まず初めに、家の壁や屋根にぶつかっている枝を切り落とした。次に少しやせてきた幹の周りに、六、七本の添え木を支えるように立てた。最後に、土から出てきている根っこの部分に土をかけ、ていねいに足でふんで固めた。私は、
「これで元気になるかな。」
と、父に聞くと
「やらないよりはいいと思うけど、心配なら毎日自分で見に来たらいいと思うよ。」
と言われた。心配だった私は、毎日桜の木の様子を見に行った。
一ケ月ほどたつと、少し桜の木が元気になったような気がした。私はそっと桜の木に手を当てて、
「どうか、元気になってください。」
と、つぶやいた。
それから時間を見つけては、父や祖父と一緒に、桜の木の周りの雑草を刈ったり、根元の土に肥料を足したり、伸びてきた枝を切ったりと、出来るだけのことをした。
台風や大雪の時は、細い枝が折れてしまっていたので、これで大丈夫かなと心配した。
でも、今年の春も、見事な花を咲かせてくれた。私はまた、桜の木に手を当てて、
「今年もきれいな花を咲かせてくれて、ありがとう。」
と、話しかけた。すると、花びらがひらひらと私の頭の上に落ちてきた。まるで
、温かく私の頭をなでてくれているような感じがした。私は思わず
「どうか長生きしてください。」
と、心の中でつぶやいた。祖母も、
「日菜ちゃんのおかげで、桜の木が元気になってよかったよ。ありがとうね。日菜ちゃんは『桜守』だね。これからも桜守がんばってね。」
と、喜んでくれた。私は、心を込めて桜の木の世話をして良かったなと思った。
私が生まれたときに、祖母が記念樹として八重桜を植えてくれた。ソメイヨシノと八重桜。父の木と私の木。まるで親子のようである。この桜の木には、いつも元気づけられたり、慰められたりしているから、家族と同じような感じがする。春には花見やスケッチを楽しみ、夏には青々とした緑の葉に元気をもらう。秋には、落ち葉を集めて、冬には白い枝を眺める。思えば一年中何かを感じさせてくれる桜の木である。
この美しい桜の木が一日でも長く生きられるように、私は桜守をがんばりたい。そして、将来自分の子どもにもこの美しい桜を見せてあげたいと思う。
「私は桜守」
喜多方市立熊倉小学校6年 鈴木 日菜
私の家には、大きな桜の木がある。この桜の木は、私の父が生まれたときに、父の祖父が誕生のお祝いに記念樹として植えたソメイヨシノである。
春になると、毎年とてもきれいな花を咲かせる。私は、花が散る前に、スケッチをしたり、写真を撮ったりする。あるとき、うちで飼っている猫が散ってくる桜の花びらをとろうとして窓ガラスにぴょんと飛びついていた。その姿がかわいらしくて絵に描いたことがある。また、家族で二階から見える桜を眺めながら、鍋をつついたりおまんじゅうを食べたりして花見を楽しんでいた。食べることに目のない母が、
「桜がポップコーンみたいに見える。」と、言ったのでみんなで大笑いしたこともある。
しかし、一年ほど前、桜の木に元気が無いような気がした。ずいぶん枝が細くなり、所々樹皮がはがれている。きつつきが来て、穴を開けていたときもあった。私は、なんだか心配になり、祖母に、
「ねえ、おばあちゃん。最近桜の木が元気が無いような気がするんだけど。」
と言うと祖母は、
「そうだね。日菜ちゃんのお父さんが今、四十六歳。お父さんが生まれた年に植えたんだからあの桜は四十六年間も毎年花を咲かせてくれたけど、もう木がだめになっているんだよね。家の方に倒れると危ないから、残念だけど切るしかないかな。」
と言って寂しそうな顔をした。それを聞いて、私は胸が痛くなった。四十六年もの間、だだ黙って花を咲かせ、静かに花を散らせて、家族を幸せな気分にさせてくれた桜の木。私は、まだ別れたくない気持ちでいっぱいだった。
数日間、どうしても桜の木のことが頭から離れず、父に相談した。すると父は、
「そうか。なんとかしてみるか。」
と言って、桜の木を見に行った。父が戻ってくると、
「日菜、ちょっと手伝え。」
と言ったので、父について行った。父は、いろいろな道具を持ってきて、二人で桜の木の手当をすることにした。まず初めに、家の壁や屋根にぶつかっている枝を切り落とした。次に少しやせてきた幹の周りに、六、七本の添え木を支えるように立てた。最後に、土から出てきている根っこの部分に土をかけ、ていねいに足でふんで固めた。私は、
「これで元気になるかな。」
と、父に聞くと
「やらないよりはいいと思うけど、心配なら毎日自分で見に来たらいいと思うよ。」
と言われた。心配だった私は、毎日桜の木の様子を見に行った。
一ケ月ほどたつと、少し桜の木が元気になったような気がした。私はそっと桜の木に手を当てて、
「どうか、元気になってください。」
と、つぶやいた。
それから時間を見つけては、父や祖父と一緒に、桜の木の周りの雑草を刈ったり、根元の土に肥料を足したり、伸びてきた枝を切ったりと、出来るだけのことをした。
台風や大雪の時は、細い枝が折れてしまっていたので、これで大丈夫かなと心配した。
でも、今年の春も、見事な花を咲かせてくれた。私はまた、桜の木に手を当てて、
「今年もきれいな花を咲かせてくれて、ありがとう。」
と、話しかけた。すると、花びらがひらひらと私の頭の上に落ちてきた。まるで
、温かく私の頭をなでてくれているような感じがした。私は思わず
「どうか長生きしてください。」
と、心の中でつぶやいた。祖母も、
「日菜ちゃんのおかげで、桜の木が元気になってよかったよ。ありがとうね。日菜ちゃんは『桜守』だね。これからも桜守がんばってね。」
と、喜んでくれた。私は、心を込めて桜の木の世話をして良かったなと思った。
私が生まれたときに、祖母が記念樹として八重桜を植えてくれた。ソメイヨシノと八重桜。父の木と私の木。まるで親子のようである。この桜の木には、いつも元気づけられたり、慰められたりしているから、家族と同じような感じがする。春には花見やスケッチを楽しみ、夏には青々とした緑の葉に元気をもらう。秋には、落ち葉を集めて、冬には白い枝を眺める。思えば一年中何かを感じさせてくれる桜の木である。
この美しい桜の木が一日でも長く生きられるように、私は桜守をがんばりたい。そして、将来自分の子どもにもこの美しい桜を見せてあげたいと思う。
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